牧野英成 (MAKINO Hideshige)
牧野 英成 (まきの ひでしげ、寛文11年(1671年) - 寛保元年(1741年))は江戸時代中期の大名、京都所司代。
丹後田辺藩第3代藩主。
丹後田辺藩牧野家4代。
旗本・村越直成の長男。
伯父である牧野富成に男子がなかったため、父の実家である丹後田辺藩牧野家の養子となる。
元禄6年(1693年)、養父・富成の死により家督を相続。
寺社奉行や京都所司代を歴任し、幕政にも参与した。
元文2年(1737年)隠居し、家督を次男・明成に譲る。
寛保元年(1741年)死去した。
経歴
1671年(寛文11年) - 生まれ
1692年(元禄5年) - 奥詰
1693年(元禄6年) - 牧野家相続、奥詰辞任、伺候席
1714年(正徳 (日本)4年) - 奏者番
1718年(享保3年) - 寺社奉行(8月4日 (旧暦))
1724年(享保9年) - 京都所司代(12月15日 (旧暦))
1734年(享保19年) - 京都所司代辞任
1737年(元文2年) - 隠居
1741年(寛保元年) - 死去、享年71
官位位階
1685年(貞享2年) - 従五位下佐渡守
1697年(元禄10年) - 讃岐守
1714年(正徳 (日本)4年) - 因幡守
1724年(享保9年) - 佐渡守、従四位下・侍従
1728年(享保13年) - 河内守