琢如 (Takunyo)
琢如(たくにょ 1625年(寛永元年)-1671年5月22日(寛文11年4月14日))は、浄土真宗の僧で、東本願寺第14代法主。
院号は淳寧院。
諱は光瑛。
雅号は愚玄。
幼名は茶々麿。
第13代法主・宣如の次男として生まれ、のちに九条家の猶子となる。
1639年(寛永15年)に得度し、1653年(承応2年)、宣如の隠居により第14代法主を継承。
また、1664年(寛文4年)には渉成園内に大谷大学を創設するなど活躍した。
そして同年11月、長男・常如に法主を譲り隠居した。
1670年(寛文10年)、本願寺発祥地近くの東山大谷(現在の京都市東山区)の地に祖廟(大谷祖廟)を移転し、その造営に着手した。
1671年5月22日(寛文11年4月14日)、47歳にて逝去。