田公高家 (TAKIMI Takaie)
田公高家(たきみ たかいえ、生没年不詳)は安土桃山時代頃の武将で因幡国気多郡気多郡 (鳥取県)宮吉城主、通称・新介。
経歴
高家は因幡守護代であった田公氏一族であった。
天正8年(1580年)の豊臣秀吉の鳥取城攻めの際、毛利氏に属し、気多郡気多郡 (鳥取県)の重要な拠点の一つ宮吉城を守っていた。
同9年(1581年)1月、織田氏の鹿野城主・亀井茲矩と内通した高家は謀叛を企てるが発覚してしまい、同年2月初旬には杉原盛重によって鎮圧された。
妻子と共に宮吉城から逃れた高家は鹿野城へ逃れた。
亀井茲矩に保護されたが、まもなく京都へ移住した。
『因幡志』によれば高家は鉄砲の名手であったという。