町藤光 (MACHI Fujimitsu)
町 藤光(まち(まち の?) ふじみつ?(ひさみつ?)、明徳元年/元中7年(1390年) - 文明 (日本)元年11月12日 (旧暦)(1469年12月15日))は、室町時代中期の公卿。
藤原北家日野流柳原家の流れを汲む町家当主。
従一位、権大納言。
元の名を「資広」と言った。
町資藤と因幡国平詮定の娘の間に出来た子。
出家して法名を情寂、或いは恃寂と言った。
履歴
明徳元年/元中7年(1390年)
- 誕生
応永26年(1419年)3月10日
- 任参議
?年
- 権大納言に転任
康正2年(1456年)1月5日年
- 従一位に昇叙する
文明 (日本)元年(1469年)11月12日
- 逝去
父母・子女
父:町資藤
母:因幡国平詮定の娘
妻:阿波国一色満直の娘
長男:町広光(1444-1504)
- 正二位、権大納言、室町大納言
次男:町光什(?-1533)
- 左大臣日野勝光養子、延暦寺、横川長吏、法性寺座主、日野別当、大僧正
子女:(?-?)
- 安禅寺比丘
子女