畠山義堯 (HATAKEYAMA Yoshitaka)

畠山 義堯(はたけやま よしたか、? - 享禄5年6月15日 (旧暦)(1532年7月17日))は、戦国時代 (日本)の河内国・山城国の守護で室町幕府管領。
畠山総州家5代目。
畠山義英の子。
畠山在氏の父。
妻は細川澄元の娘。
別名、義宣(よしのぶ)。

大永6年(1526年)、一時的とはいえ室町幕府管領となる。
その後、義兄弟でもある細川澄元の子 細川晴元と結んで、共通の敵であった細川高国や畠山稙長と争い、「大物崩れ」において高国を倒した。

だが、その後の方針を巡って盟主・晴元と対立。
勢力拡大を警戒されたばかりか、晴元との関係強化を独自に画策する重臣・木沢長政には離反された上、これ等に同族の天敵である尾州家・畠山稙長まで加わった連合軍を形成され、攻撃を受ける。

享禄5年6月15日、木沢長政の居城・飯盛山城を三好元長と攻囲し、戦局を優位に進めていた中、木沢の支援に現れた一向一揆に敗れて自刃(飯盛山城飯盛城の戦い)。
これによって応仁の乱以来、畠山氏を二分していた畠山義就系畠山氏(畠山総州家)は没落した。

[English Translation]