相馬重胤 (SOMA Shigetane)
相馬重胤(そうま しげたね)
陸奥相馬氏第6代当主。
陸奥相馬氏第11代当主。
相馬重胤 (鎌倉時代・南北朝時代)
相馬 重胤(そうま しげたね、 ? - 建武 (日本)4年(1337年))は、鎌倉時代から南北朝時代 (日本)の人物。
陸奥国相馬氏第6代当主。
相馬師胤の子。
相馬親胤、相馬光胤の父。
孫五郎。
嫡流(下総相馬氏)の相馬胤氏や相馬師胤(重胤の父とは別人)らと所領を巡りたびたび争いをおこし、陸奥に下向し、小高城を築くなど勢力を広げ、陸奥相馬氏の祖となった。
鎌倉幕府の滅亡後、建武の新政が成立するとそれに従ったが、のちに足利尊氏が台頭するとそれに味方し、宮方の千葉氏、下総相馬氏と対立した。
子の親胤を尊氏の上京に従わせる一方で、次子の光胤を陸奥の守りにつかせ、自身は斯波家長と共に鎌倉の守備にあたったが、北畠顕家の攻撃を受け戦死した。
相馬重胤 (室町時代)
相馬 重胤(そうま しげたね)は、室町時代の人物。
陸奥国相馬氏の第11代当主。
相馬胤弘の子。
相馬高胤の父。
孫次郎。
治部少輔。
1437年(永享8年)、父の隠居により家督を継いだものの、1440年(永享11年)に不治の病にかかり、子の隆胤(のちの高胤)に家督を譲り隠棲し、そのまま病没した。