磯田多佳 (ISODA Taka)
磯田多佳(いそだ・たか 本名たか 1879年 - 1945年)は、祇園甲部の芸妓で京都市東山区祇園新橋に営業していたお茶屋『大友(だいとも)』の女将。
多佳は6歳で井上八千代に入門。
そこで芸を磨き、10代で芸妓となる。
23歳で母の家業を継ぎ、夏目漱石をはじめ谷崎潤一郎、吉井勇など多くの文学者との交流し、『文学芸妓』と呼ばれるようになった。
当時白川の両岸には数軒の御茶屋が立ち並び、その中に『大友』が含まれていて吉井勇の歌にも書かれている。
しかし、戦局が悪化し多くのお茶屋が廃業を余儀なくされた。
空襲に伴う災害を防ぐため疎開が行われ、多佳が守っていたお茶屋が撤去され、彼女は悲しみにくれた。
1945年にその生涯を閉じる。