稲葉通重 (INABA Michishige)

稲葉 通重(いなば みちしげ)は、安土桃山時代の武将。
江戸時代前期の大名で、美濃国清水藩主。

稲葉良通(一鉄)の庶長子である稲葉重通の子として生まれる。
慶長3年(1598年)に父が死去したため、家督を継いだ。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、叔父の稲葉貞通と共にはじめ西軍に属し、後に東軍に寝返った。
そのため、戦後に所領を安堵された。

ところが慶長12年(1607年)12月、天野雄光や津田信成ら数名と京都の祇園で遊んでいたとき、酒乱のために茶屋四郎次郎、後藤庄三郎などの富商の婦女を強引に茶店に引き入れ、酒を飲ます等の乱行を起こした。
そのため、幕命により改易され、常陸国筑波に流罪とされた。
ここに清水藩は廃藩となった。
元和4年(1618年)6月、配所である常陸国筑波にて死去した。
嫡子通勝は、稲葉正勝の家臣となっている。

[English Translation]