竹林院 (人物) (Chikurinin (person))
竹林院(ちくりんいん、生年不詳 - 1649年6月27日(慶安2年5月18日 (旧暦)))は、安土桃山時代から江戸時代の女性。
真田信繁(幸村)の正室で、大谷吉継の娘(吉継の姪とも)。
真田幸昌・真田守信・あぐり(蒲生郷喜室)・菖蒲(片倉定広室)・おかね(石川貞清室)らの母。
名は竹姫、安岐、利世とも。
父・吉継が真田家と交流が深く、1594年(文禄3年)頃に真田信繁に嫁ぐ。
1600年(慶長5年)12月、関ヶ原の戦いで西軍につき、信繁に随行して高野山に幽閉される。
高野山での生活は厳しかったらしく、彼女自ら上田地方の紬技術を応用した真田紐を考案し、家臣たちに行商させて、生計を支えていた。
1615年(慶長20年)5月7日 (旧暦)に大坂夏の陣で信繁が戦死すると、徳川家康に命じられた紀伊領主・浅野長晟に捜索された。
5月20日 (旧暦)に紀伊伊都郡で娘のあぐりとともに3人の侍に警護されて隠れていたのを発見され、5月24日 (旧暦)に京都の家康に引き渡されたが、無罪となり以後は京都でかね夫婦と暮らす。
1649年(慶安2年)5月18日に京都で亡くなる。
法名・竹林院殿梅渓永春大姉。
墓所は妙心寺大珠院(龍安寺の境内にある)。