細川元常 (HOSOKAWA Mototsune)
細川 元常(ほそかわ もとつね)は、戦国時代 (日本)の和泉国上半国守護・山城国勝龍寺城城主。
文明14年(1482年)、細川元有の嫡男として生まれる。
明応9年(1500年)に父が戦死したため、家督と和泉半国守護職(上守護)を継いだ。
ところが永正5年(1508年)に管領細川政元が暗殺(永正の錯乱)されると後継者をめぐって管領細川氏は分裂してしまう。
元常は政元の養子・細川澄元を擁してもう1人の養子・細川高国と戦うものの敗れて守護職を奪われた。
澄元の死後はその嫡男・細川晴元を支持し、享禄4年(1531年)に高国が戦死すると、晴元から守護職に復帰することを許され、以後は晴元派として行動するようになり、領国内の反対派鎮圧のため度々に下向した。
天文12年(1543年)から高国の養子・細川氏綱が晴元と抗争する。
これに対して元常は晴元と共に氏綱と戦ったが、天文18年(1549年)に晴元の重臣・三好長慶が裏切って氏綱に味方したために敗れ(江口の戦い)、結果的には細川氏の所領は長慶によって奪われる形となった。
そして細川一門そのものが没落することになり、元常も長慶に追われた将軍・足利義輝に随行して近江国などへ逃れることになる。
天文23年(1554年)6月16日に死去。
享年73。
弟・三淵晴員の子・細川藤孝を養子として後を継がせた。
元常の死により、和泉上守護家細川氏による和泉支配は名実ともに終焉を迎えることとなった。