細川氏春 (HOSOKAWA Ujiharu)

細川 氏春(ほそかわ うじはる)は、南北朝時代 (日本)の武将。
細川氏の淡路国守護家の一族である。

細川師氏の子として生まれる。
貞和4年/正平 (日本)3年(1348年)に父が死去したため、家督を継いで淡路守護となった。
康安元年/正平16年(1361年)に細川清氏が佐々木道誉らに讒言されて将軍・足利義詮によって追討令が出されたために清氏が南朝 (日本)に降伏すると、それに従って南朝に降伏する。
そして同年末には清氏と共に北朝 (日本)方を破って京都を占領するに至った。

その後、幕府の巻き返しにあって敗北し、貞治元年/正平17年(1362年)に清氏と共に讃岐国に渡海して再挙を図ったが、ここで幕命を受けた細川頼之に攻撃されて清氏は戦死し、氏春は降伏して幕府に帰順し、淡路守護に再任された。

その後は幕府方の武将として応安6年/文中2年(1373年)には河内国で南朝勢力と戦い、武功を挙げた。
嘉慶元年・元中4年(1387年)10月19日に死去。

淡路守護家は子の満春が継ぎ、代々細川氏の有力な分家の一つとして存続したが、戦国時代 (日本)初期の細川尚春の時代に三好氏滅ぼされ断絶した。

[English Translation]