終南浄寿 (SHUNAN Joju)
終南浄寿(しゅうなん じょうじゅ、 宝永7年(1710年) – 明和4年8月22日 (旧暦)(1767年))は、江戸時代中期の黄檗宗の僧侶で書家・篆刻家である。
俗称は小島氏。
諱は浄寿、字を天年。
終南は号 (称号)で、他に介石と号した。
伊勢松阪市の人。
略伝
小島息安の次男として生まれる。
伊藤華岡の実弟で、この兄より書法を受けた。
わずか9歳にて山城国甘南備寺で得度し、享保14年(1729年)に南嶺元勲の法嗣となる。
のちに京都市地域名神光院や萬福寺聖林院の住持となる。
悟心元明とは親友でともに江戸に遊学した。
漢詩漢文に通じ書名を馳せた。
洛東岡崎では介石庵を結び大典顕常・大潮元晧・木村蒹葭堂・高芙蓉ら文人と交わった。
享年57。
萬福寺万松崗に墓所がある。
印譜『巽斎捐因』や『終南悟心印譜』にその刻印が掲載されている。