置始大伯 (OKISOME no Oku)
置始大伯(おきそめのおおく)は、日本の飛鳥時代の人物である。
名は多久とも書く。
旧仮名遣いでの読みは「おきそめのおほく」。
姓(カバネ)は連。
654年に遣唐使の一員として唐に渡り、翌年帰国。
672年の壬申の乱では大海人皇子(天武天皇)の側についた。
693年に窃盗の罪に問われたが、壬申の乱のときの功に免じて赦された。
白雉5年(654年)2月、置始大伯は、高向玄理を押使、河辺麻呂を大使とする遣唐使の一員となった。
このとき大伯の位は小乙上であった。
この遣唐使は、斉明天皇元年(655年)8月に帰った。
『日本書紀』の壬申の乱のくだりに置始大伯の名は現れないが、次に述べる窃盗事件の詔で、大海人皇子側で活躍したことがわかる。
持統天皇7年(693年)4月22日、盗みの犯人として大伴男人、置始多久、菟野大伴を、見逃した罪で巨勢邑治を裁く詔が下された。
具体的内容は記されていないが、罪に問われた官人の役職から、官物横領と思われる。
置始多久はこのとき鍵を管理する典鑰であった。
位一階を下げ、官を解かれることになったが、壬申の年の功によって特別に赦され、贓物の返済だけでよいとされた。