膳摩漏 (KASHIWADE no Maro)
膳 摩漏(かしわでのまろ、生年不明 - 天武天皇11年7月18日 (旧暦)(682年8月26日))は、日本の飛鳥時代の人物である。
旧仮名遣いでの読みは「かしはでのまろ」。
姓(カバネ)は臣。
672年の壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)の側についた。
贈大紫。
『日本書紀』によれば、天武天皇11年(682年)7月9日に、小錦中の膳摩漏が病となり、天皇は草壁皇子と高市皇子を遣わして見舞いさせた。
18日に摩漏は死んだ。
天皇は驚き、とても悲しんだ。
21日に壬申の年の功によって、天皇は大紫の位と禄を摩漏に贈り、皇后(後の持統天皇)も物を贈った。
大紫は壬申の功臣の中でも高位だが、書紀が壬申の乱を述べるくだりに摩漏の名は見えないので、どのような活躍をしたかはわからない。