花山院定教 (左近衛中将) (Sadanori KAZANIN (Sakon e no chujo [Middle Captain of the Left Division of Inner Palace Guards]))

花山院 定教(かざんいん さだのり、寛永6年10月1日 (旧暦)(1629年11月15日) - 承応2年12月12日 (旧暦)(1654年1月30日))は、江戸時代前期の公卿。
明正天皇(109代)から後西天皇(111代)期の朝臣。
最終官位は従三位左近衛中将。
藤原北家藤原師実流花山院家23代当主。

左大臣花山院定好の次男。
母は関白鷹司信尚の姫。
兄に花山院忠広、弟に花山院定誠がいる。

寛永16年(1638年)に叙爵。
寛永20年(1642年)に元服し、左近衛中将に任命される。
正保3年(1646年)に従三位となり、慶安2年(1649年)には踏歌節会外弁をつとめたが、承応2年(1653年)に死去。
享年25。

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