若柳壽童 (WAKAYAGI Judo)
若柳 壽童(わかやぎ じゅどう)は、若柳流宗家家元の名跡。
歴代の家元に関しては若柳流派と家元項参照。
初代
若柳 寿童(弘化6年2月3日 (旧暦)(1845年7月25日) - 大正6年(1917年)7月22日)。
本名は若林勇吉。
初世若柳流家元。
江戸新吉原の引手茶屋「見吉屋」の末子として生まれる。
6歳の春頃から舞踊に親しむ。
花柳流の花柳壽輔 (初世)の弟子となる。
15歳で花柳芳松の名を名乗る。
柳橋に出稽古に出ていたが父が死去に伴い廃業し職を転々とする。
30歳頃に突如と復帰。
1860年頃から守田座に振付師として招かれる。
1903年に師匠が没を機会に吉松と改名し花柳流を独立し若柳流を創始する。
還暦で壽童と改名。
1915年に引退をした。
弟子には初代若柳吉蔵(2世若柳流家元・落語家の初代三遊亭圓遊の実子)。
2代目
若柳 寿童(大正10年(1921年8月11日) - 平成元年(1989年)7月17日)。
本名は竹内正次。
3世若柳流家元。
2世家元吉蔵に師事し養子になり若柳吉正蔵を名乗る。
1944年に2代目吉蔵を襲名し3世若柳流家元となる。
1975年に壽邦と改名。
1988年に長らく途絶えていた2代目壽童を襲名。
長男が4世家元若柳壽延、三男が3代目若柳吉蔵(5世家元)