菅原孝標 (SUGAWARA no Takasue)
菅原孝標(すがわら の たかすえ、天禄3年(972年) - 没年不詳)は、平安時代の貴族、受領。
菅原資忠の子。
4代前の先祖は右大臣・菅原道真。
「更級日記」の著者、菅原孝標女の実父である。
長保3年(1001年)に従五位下に叙任。
寛仁元年(1017年)に上総国介、長元5年(1032年)に正五位下・常陸国に任じられた。
学問の家に生まれたが、孝標は大学頭・文章博士にはならなかった。
更級日記によると、常陸の国司を勤めた4年後の長元9年(1036年)に帰京し、高齢で再びどこかの国司に任命されたらしい。
高齢で任国へ赴く父との今生の別れの箇所は更級日記の中でも有名なシーンの一つである(実際には無事に生きて戻ってきた)。
その後の記述はないが、平安時代の寿命からすると相当長生きの部類に入る人物である事は間違いない。