菅原文時 (SUGAWARA no Fumitoki)
菅原 文時(すがわら の ふみとき、昌泰2年(899年) - 天元 (日本)4年9月8日 (旧暦)(981年10月8日))は、平安時代中期の文人・政治家。
祖父は菅原道真、父は菅原高視。
菅三品と称される。
文章博士から内記・弁官・式部大輔などを歴任している。
954年(天暦8年)村上天皇が諸臣に政治に関し意見を求めた際、957年(天徳 (日本)元年)意見奉事3ヶ条を提出している。
981年(天元4年)1月に従三位に叙せられた。
同年9月、83歳で没した。
『袋草紙』には、文時が不出来と考えていた詩文の草案を、門弟の慶滋保胤が逆に絶賛した記事が載せられている。
『本朝文粋』のほか『扶桑集』『和漢朗詠集』に作品が残されている。