菊池武政 (KIKUCHI Takemasa)
菊池 武政(きくち たけまさ、1342年(興国3年/康永元年) - 1374年7月6日(文中3年/応安7年5月26日 (旧暦)))は南北朝時代 (日本)の武将。
菊池氏の第16代当主。
第15代当主・菊池武光の子。
通称は菊池次郎。
父・武光と共に九州における北朝 (日本)勢力と戦い、様々な活躍をして功を挙げた。
しかし新たな九州探題として今川貞世(了俊)が着任すると、父と共に敗戦を重ねることとなる。
1373年11月に父・武光が失意のうちに病死する。
その後を受けて、家督を継いだ。
しかし了俊に父の死を付け込まれ、さらに敗戦を重ね、阿蘇惟武に援軍を要請する必要に迫られるほど、菊池氏の勢力は逼迫するようになったと言われている。
このように菊池氏の衰勢が顕著になる中、父の後を追うように家督継承後2年の1374年5月26日、33歳の若さで病没。
その跡を子の菊池武朝が継いだ。