萬龍 (Manryu)

萬龍(まんりゅう、1894年7月 - 1973年12月)は明治末に「日本一の美人」と謳われ、当時人気を博した芸妓。

東京赤坂 (東京都港区)の置屋・春本抱えの芸妓であった。

当時の一流芸妓は多くの男性の憧れの対象であり、現在のタレント、アイドルに相当するであろう。

日露戦争(1904-05年)の際、出征兵士のために慰問用絵葉書が作成された。
これをきっかけに、戦争後も芸妓の絵葉書が流行し、ブロマイドのように多数作成されていた。
萬龍は絵葉書美人として人気を博し、1909年(明治42年)「文芸倶楽部」誌で行われた芸妓の人気投票では第一位になった。
新聞に「萬龍物語」が連載され、三越のポスターにも登場し、その名は流行歌にも歌われたほどである。

東大卒の法学士、恒川陽一郎との恋愛・結婚では世間をあっと言わせたが、恒川は数年後に病死し、建築家の岡田信一郎と再婚。
(岡田静子となる)

生涯の後半は茶道教授として多くの弟子に慕われていた。

谷崎潤一郎の『青春物語』には、恒川(谷崎の友人)と萬龍の出会いなどエピソードが綴られている。

(文献によっては万竜、万龍、萬竜と表記されているが、萬龍が妥当であろう)

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