薬師寺国長 (YAKUSHIJI Kuninaga)
薬師寺 国長(やくしじ くになが)は、戦国時代の武将。
細川氏(京兆家)の重臣で摂津守護代である。
幼名は万徳丸(まんとくまる)。
薬師寺元一の子で、父が永正元年(1504年)に謀反の罪で誅殺されたときには幼少だったことから罪を許されている。
永正4年(1507年)に主君の細川政元が暗殺されると、その養子である細川高国の家臣となり、政元を殺した叔父の薬師寺長忠討伐で功績を挙げた。
この功績により、永正5年(1508年)には摂津守護代に任じられた。
その後は高国に属して各地を転戦し、大永7年(1527年)には山城国山崎城主に任じられた。
しかし細川晴元の武将柳本賢治に敗れて摂津に逃走し、やがて晴元に降伏した。
その後は晴元の家臣として各地を転戦し、天文2年(1533年)1月には法華宗の援助を得て一向一揆と戦うなどしている。
同年5月、晴元の命令でかつての主君高国の弟(実子説あり)である細川晴国と戦い、6月18日に山城国高雄にて敗死した。