藤原倫寧 (FUJIWARA no Tomoyasu)
藤原 倫寧(ふじわら の ともやす、生年未詳 - 貞元 (日本)2年(977年)) は平安時代中期の廷臣。
左馬頭藤原惟岳の子。
母は源経基の娘。
正四位下。
陸奥国、伊勢国などの国司を歴任する。
子に藤原道綱母、藤原長能らがある。
藤原長良の流れを汲む中級貴族で、一条堀川に住んだ。
娘の一人は藤原兼家との間に藤原道綱を生み、『蜻蛉日記』の作者「藤原道綱母」として史上に名高い。
また別の娘は菅原孝標との間に女子(『更級日記』の作者「菅原孝標女」)を儲けている。