藤原公則 (FUJIWARA no Kinnori)

藤原公則(ふじわら の きんのり、生没年不詳)は、平安時代後期の公家。
概ね11世紀の半ばから後期にかけて活動。
藤原北家魚名流。
民部少輔藤原伊伝の子。
文徳源氏源章経の養子。
従四位下(または従四位上)・備後守。

摂関家藤原師通の家司を務める一方、信濃国・河内国・尾張国・伊勢国の国守等地方官を歴任。
長久元年(1040年)、乱立する荘園に憂い、それを阻止すべく荘園の停止を朝廷に訴えるなどの活動を行っている。
それを契機として、同年「長久の荘園整理令」を皮切りに数度に亘り荘園整理令が発令された。

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