藤原兼平 (FUJIWARA no Kanehira)

藤原兼平(ふじわら の かねひら)
藤原北家藤原良房流(藤原基経の子)
藤原北家小野宮流(藤原経季の子)
藤原北家摂家の一つ、鷹司家の初代当主の藤原兼平については、鷹司兼平を参照。

藤原兼平(藤原基経の子)

藤原 兼平(ふじわら の かねひら、貞観 (日本)17年(875年)‐承平 (日本)5年7月28日(935年))は、平安時代中期の官人・雅楽家。
摂政太政大臣藤原基経の3男。
母は式部卿忠良親王女。
時平・仲平・忠平・温子・穏子らの異母兄弟。

琵琶の名手だったと言われる(『尊卑分脈』)。
寛平7年(895年)8月21日、21歳のとき無位から従五位上を授けられる。
承平5年7月28日、61歳で薨去した。
最終官位は従三位宮内卿だった。

藤原兼平(藤原経季の子)

藤原 兼平(ふじわら の かねひら、生没年不詳)は、平安時代後期の官人。
藤原北家小野宮流(実頼流)。
父は中納言藤原経季で。
母は中納言藤原定頼女。

母(藤原定頼女)は「藤原定頼女」あるいは「藤原兼平母」の名で『後拾遺和歌集』『千載和歌集』・『新勅撰和歌集』に詠歌が収録されている勅撰和歌集歌人。
初め藤原信長の愛人となったがのちに離別し、藤原経季の妻になって兼平を産んだ。
兼平は和泉守・淡路守などを歴任し、従四位上近衛府まで昇進した。

[English Translation]