藤原千晴 (FUJIWARA no Chiharu)
藤原 千晴(ふじわら の ちはる 生没年不詳)は、平安時代中期の軍事貴族。
藤原秀郷の子。
子に藤原久頼がある。
父、秀郷が平将門の乱で功績あげたことにより朝廷で登用され京で活動する。
康保4年(967年)、村上天皇の死去の際、伊勢固関史を任務。
東国で平義盛と争ったこともある。
この間、相模国介などを務めるが、安和2年(969年)に起きた藤原北家嫡流による他氏排斥事件「安和の変」で対立する清和源氏の一族・源満季に追捕されて失脚、隠岐国に流罪となった。
以後の消息は不明。