藤原原子 (FUJIWARA no Genshi)
藤原原子(ふじわら の げんし(もとこ)、天元 (日本)3年(980年)頃? - 長保4年8月3日 (旧暦)(1002年9月12日))は、平安時代中期の皇妃。
三条天皇の東宮時代の妃。
摂政藤原道隆次女、母は高階貴子(高階成忠女)。
同母兄弟に藤原伊周、藤原隆家、一条天皇皇后藤原定子らがいる。
正暦4年(993年)2月裳着。
同6年(995年)1月、東宮居貞親王(のちの三条天皇)に入侍(『栄花物語』によればこの時14、5歳)。
淑景舎を局とし、淑景舎女御、内御匣殿などと称されて東宮の寵愛を受けた。
当世風の華やかな人柄であったといい、姉定子を訪れた時の様子が『枕草子』に登場している。
しかし入内からわずか3ヵ月後に父道隆が薨去、さらに翌年兄伊周・隆家も失脚し、中関白家は凋落した。
その後は有力な後見もなく、皇子女にも恵まれないまま、姉定子、妹御匣殿 (藤原道隆四女)のあとを追うように長保4年(1002年)8月3日に死去。
享年22、3であった(『大鏡』)。
突然血を吐いてそのまま頓死したといわれている。
同じく東宮妃の宣耀殿女御藤原せい子(のち皇后)に疑いがかけられた(『栄花物語』)。