藤原大津 (FUJIWARA no Otsu)
藤原 大津(ふじわら の おおつ、延暦11年(792年) - 仁寿4年10月9日 (旧暦)(854年11月2日))は、平安時代前期の官人。
藤原北家。
藤原内麻呂の第9子。
藤原真夏・藤原冬嗣らの異母弟。
藤原良縄の父。
18歳で大舎人大允となり、常陸大掾・右近将監を経て、天長3年(826年)従五位下備後守になる。
その後、大監物・散位頭・左馬助・信濃守・備前守などを歴任。
承和 (日本)9年(842年)7月の承和の変では、山城国の宇治橋を守った。
仁寿元年(851年)11月、正五位下になる。
同4年(854年)10月9日、63歳で卒去した。
身長が低かったが、意気が高く、歩射をよくした。
また地方官としての優れた業績を残し、備後守・伊予守時代では民に慕われたという。