藤原季成 (FUJIWARA no Suenari)
藤原 季成(ふじわら の すえなり、康和4年(1102年) - 長寛3年2月1日 (旧暦)(1165年3月14日))は、平安時代末期の公卿。
藤原北家閑院流。
大納言藤原公実の七男。
正二位・権大納言。
加賀大納言と号す。
経歴
永久 (元号)2年(1114年) 尾張守
永久3年(1115年) 侍従
永久6年(1118年) 従五位上
元永2年(1119年) 蔵人、左少将
元永3年(1120年) 周防権介
保安 (元号)2年(1121年) 加賀守
保安3年(1122年) 正五位下
保安4年(1123年) 従四位下
大治 (日本)5年(1130年) 左中将
大治6年(1131年) 従四位上
長承2年(1133年) 正四位下
長承3年(1134年) 蔵人頭
保延2年(1136年) 参議
保延4年(1138年) 兼伊予権守
保延6年(1140年) 従三位
康治元年(1142年) 権中納言
康治2年(1143年) 正三位
久安2年(1146年) 従二位
久安5年(1149年) 正二位
保元元年(1156年) 中納言、兼民部卿
保元2年(1157年) 権大納言、兼中宮大夫
保元4年(1159年) 皇后宮大夫
永暦元年(1160年) 権大納言辞職
成子は後白河天皇の寵妃となり、守覚法親王、以仁王、亮子内親王(殷富門院)、式子内親王、好子内親王、休子内親王といった皇子女を儲けた。