藤原敦基 (FUJIWARA no Atsumoto)

藤原 敦基(ふじわら の あつもと、永承元年(1046年) - 嘉承元年(1106年))は、平安時代後期の廷臣、漢詩人。
藤原式家の出身で父は文章博士藤原明衡。
母は安房国守平実重の娘。
弟に藤原敦光、明暹らが、子には藤原令明、藤原茂明らがある。
正四位下、文章博士、上野介。

白河天皇の皇太子時代よりその傍に仕え、また藤原師実の家司をも務める。
文章得業生より出発し、蔵人などを経た後、寛治2年(1088年)に文章博士に至る。
父と同様に学識に秀で、特に漢詩の才をもっては当代随一であった。
凡そ文に属する者で敦基の弟子でない者はない、とまで謳われた。
著作として『国史後抄』『柱下類林』があり、また作品が『本朝続文粋』『本朝無題詩』などに収められている。

同時代の源義家と文武の双璧と称され、互いに交流も持った。
娘は義家の子・源義国に嫁いでいる。

[English Translation]