藤原氏宗 (FUJIWARA no Ujimune)
藤原 氏宗(ふじわら の うじむね、弘仁元年(810年)- 貞観 (日本)14年(872年)2月11日 (旧暦))は平安時代前期の公卿、宮廷政治家。
藤原葛野麻呂の七男。
母は和気清麻呂の女。
同じく藤原北家の藤原長良の女・藤原淑子(内侍司、宇多天皇養母)を妻とする。
兄弟には藤原常嗣らがあり、子に藤原春景、藤原有文らがある。
正三位、右大臣。
天長9年(832年)上総国大掾に任官。
以後昇進を重ね、以下のような経歴を重ねる。
承和_(日本)9年(842年)陸奥守、嘉祥元年(848年)春宮亮、仁寿元年(851年)参議、貞観元年(859年)従三位、同3年(861年)中納言、同5年(863年)右近衛大将、同8年(866年)左近衛大将、同9年(867年)大納言、同11年(869年)東宮傅
同12年(870年)、61歳にして右大臣の地位に至っている。
清和天皇の命により、貞観11年に『貞観格式』を、同13年(871年)には『貞観格式』を選上。
また貞観永宝の鋳造にも関わり、「貞観の治」と呼ばれる同天皇の治世に大いに貢献した。
右大臣に在任中の14年死去し、死後正二位を贈られている。