藤原清廉 (FUJIWARA no Kiyokado)
藤原清廉(ふじわら の きよかど 生没年不詳)は、平安時代中期の下級官人。
経歴
997年(長徳3年)、円教寺作料により大蔵少丞で正六位上に叙せられる。
1004年(寛弘元年)、従五位下に叙せられる。
山城国・大和国・伊賀国に所領を有する栄田領主としても知られている。
1018年(寛仁2年)、興福寺・円教寺焼亡にともなう復興の相談を受ける。
その後、まもなく、77歳で没したとみられることから考えると、生まれは早くとも942年以降のものとみられる。
逸話
『今昔物語集』には別名「猫怖大夫(ねこおじのたいふ)」と称され、ネコ嫌いのキャラクターとして登場している。
そのことに目をつけた大和守の藤原輔公により、未納の官物を全納すべくお仕置きとして、一室に閉じ込めて猫で脅されたという逸話がある。