藤原清成 (FUJIWARA no Kiyonari)
藤原 清成(ふじわら の きよなり、生没年不詳)は奈良時代の貴族。
藤原宇合の3男(異説あり)で、藤原種継の父。
「尊卑分脈」に記載されている生没年は兄・藤原良継のものと同一で誤記と考えられている。
母は高橋笠朝臣の娘・阿禰娘、妻は秦忌寸朝元の娘だと言われている。
記録によれば「無位無官」のまま死去したと伝えられている。
参議兼式部卿であった父・宇合の死去と同じ年(737年)に息子・種継が誕生しているにも関らず、「無位無官」と伝わっている他には清成個人の活躍の記録が全くないのは不可解である。
考えられるのは、父の死から3年後にあった長兄・藤原広嗣の乱である。
この乱に連座して年長の兄弟のうち、在京の次兄・良継や弟・藤原田麻呂らは官位剥奪の上に流罪となり、広嗣の許にいた弟・藤原綱手は兄と同罪として処刑されている(当然、官位は剥奪されている)。
恐らくは藤原広嗣の乱に関与したとして処刑されたか、流罪となった後に良継兄弟が帰京を許された742年を待たずに病没したものかのいずれかと考えられるのである。
基本的には特筆事項がなければ下級官人や無位無官の人物を取り上げる事のない、「続日本紀」などの史書からはその記録が漏れてしまったのであろう。
(「続日本紀」の編纂時期は清成の弟・藤原百川や息子・種継が政権中枢にいた時代であり、その当時の政治的事情から敢えて記載しなかった可能性もある)