藤原理忠 (FUJIWARA no Masatada)

寛仁3年(1019年)、得体のしれない賊徒が島の人々を襲い、家畜を食い荒らしていると言う急報を聞いて、直ちに布代城から兵士を率いて賊徒の討伐に向った。
しかし、約3000人もの賊徒にはとても敵わず、奮戦するも味方の兵士147人と共に討ち死にした(刀伊の入寇)。
壱岐市勝本町立石南触に、藤原理忠の墓がある。

藤原 理忠(ふじわら の まさただ)は、平安時代の武将。
壱岐国国司。

概要

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