藤原範能 (FUJIWARA no Noriyoshi)
藤原 範能(ふじわら の のりよし、生没年不詳)は、平安時代末期の官人。
名は教能とも表記される(『平家物語』11)。
藤原南家藤原貞嗣流の出身。
少納言信西(信西)の孫。
参議藤原修範の子。
母は従三位平範家女。
室に相模国守平業房女らがおり、子に正三位非参議藤原有能・藤原修子(太政大臣三条公房妾・安喜門院三条有子の母)らがいた。
仁安 (日本)2年(1167年)叙爵。
内舎人・尾張国守・治部大輔・兵衛府・近衛府・但馬国守・内蔵寮などを歴任した。
建久元年(1190年)従三位に叙せられ、大宰大弐に任ぜられる。
同3年大宰大弐を辞任し、同7年10月出家したが、その後の消息は不明。