藤原蔵下麻呂 (FUJIWARA no Kurajimaro)

藤原蔵下麻呂(ふじわらのくらじまろ 天平6年(734年) - 宝亀6年7月1日 (旧暦)(775年8月5日))は奈良時代の貴族。
藤原式家の出身。
藤原宇合の第9子。
従三位・参議。

経歴

舍人となり、出雲国介に移る。
天平宝字7年(763年)従五位下を授かり、少納言に任じられた。
天平宝字8年(764年)備前国国司となる。

天平宝字8年(764年)9月、藤原仲麻呂が乱を起こし、賊軍は近江国へ走った。
官軍はこれを追討、蔵下麻呂は討賊将軍に任じられ将兵を率いて援軍として参じ、力戦してこれを破った。(藤原仲麻呂の乱)
この功績により従三位を授かる。
同年10月、廃位された淳仁天皇(淡路廃帝)を配所へ護送した。

天平神護元年(764年)近衛府となる。
神護景雲元年(767年)伊予国土佐国二国按察使となる。

宝亀元年(770年)称徳天皇が崩御すると、左大臣・藤原永手らとともに白壁王を即位させる(光仁天皇)。
同年、兵部省を兼ねる。
宝亀2年(771年)皇太子となった他戸親王の春宮大夫となる。
しかし、宝亀3年(772年)井上内親王が天皇を呪詛した事件により、他戸皇太子は廃されてしまった。

宝亀5年(774年)兵部卿から大宰帥となる。
同年、参議となる。
宝亀6年(775年)死去。

[English Translation]