藤原親孝 (FUJIWARA no Chikataka)
藤原親孝(ふじわら の ちかたか、生没年不詳)は、平安時代中期頃の貴族。
藤原北家魚名流。
藤原貞正の子。
右兵衛尉。
源頼信の乳母子にあたる。
概ね11世紀初頭前後に上野国の兵衛尉に任ぜられている。
性格はやや小心者だったらしい。
あるとき、自分の子どもが人質にされたところを躊躇してしまい手も足も出せず、結局源頼信に泣きながら助けを求めにいった際、「我が身を思い、妻子の身を思っては、万事の後れをとることになるから、兵の道をたてるにはそうした未練を断ち切らねばならん云々」と諌められたというエピソードがある。