藤原重家 (左近衛少将) (FUJIWARA no Shigeie (Sakone no shosho - Minor Captain of the Left Division of Inner Palace Guards))

藤原 重家(ふじわら の しげいえ、貞元 (日本)2年(977年) - 没年未詳)は平安時代中期の廷臣。
左大臣藤原顕光の長男。
母は村上天皇の皇女盛子内親王。
兄弟姉妹に皇慶、藤原元子、藤原延子らがある。
官位は従四位下左近衛少将。
容姿に優れ、「光少将」とうたわれた。

長保3年(1001年)、いわゆる「寛弘の四納言」(藤原公任、藤原斉信、藤原行成、源俊賢の4名)が陣座で朝政の議論をしていた。
その様子を目にして自らの非才を覚り、親友の源成信とともに園城寺にて出家して遁世する。
この報に接し、父の顕光は悲嘆に暮れたという。
没年含め、以後の消息は定かではない。

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