蘇我日向 (SOGA no Himuka)
蘇我日向(そがの ひむか、生没年不詳)は、7世紀後半の官人。
父は蘇我倉麻呂。
字は身刺(むさし)。
644年(皇極天皇3年)天智天皇(後の天智天皇)と日向の兄蘇我石川麻呂の娘が婚約した夜にその娘と密通した。
649年(大化5年)日向は「石川麻呂が中大兄皇子を殺害しようとした」と讒言、軍を率いて石川麻呂を追討した。
石川麻呂は自害して果てた。
その後石川麻呂の無実が明らかとなり、中大兄皇子は日向を筑紫国の大宰帥としたが、世間ではこれを隠流し(かくしながし)と評したという。
つまり、その罪を問われて左遷させられた、とでもいいたいのであろうが、日向臣という無名の冠位もない人間が、太宰帥という外交上のおいても重要な地位をしめる要職についたというのは、むしろ異例の栄転であった。
したがって、この中大兄皇子や『書記』の言い訳は、全く説得力をもたないのである。