観世清孝 (KANZE Kiyotaka)
観世清孝(かんぜ きよたか、1837年(天保8年) - 1889年(明治22年))とは、シテ方観世流能楽師。
観世流二十二世宗家。
観世左近を名乗る。
二十一世宗家観世清長の子。
1869年、徳川慶喜に随従して静岡に移り住む。
その後、東京での能楽再評価の流れに合わせて上京した。
この間、初世梅若実、五世観世銕之丞(観世紅雪)らが東京で能の復興に尽力した。
この為、免状発行権をめぐって紛争が生じ、1921年の梅若流創設となる。
長男が二十三世観世清廉。
三男元義が六代片山九郎右衛門晋三の養嗣子となり、晋三の娘・光子と結婚した。
後に片山家七代目を継承、七世片山九郎右衛門を名乗る。
義兄にワキ方進藤流最後の宗家十世進藤権之助信啓。