讃岐永直 (SANUKI no Naganao)

讃岐 永直(さぬきの ながなお、延暦2年(783年) - 貞観 (日本)4年8月17日 (旧暦)(862年9月14日))は、平安時代初期の明法家。
讃岐国寒川郡 (讃岐国)の人。

『令義解』の編者の一人として知られる。
娘は時康親王(後の光孝天皇)の更衣 (女官)。

来歴

弘仁6年(815年)に明法得業生となり、天長7年(830年)に明法博士となり、後に大判事に遷る。
承和 (日本)3年(836年)に朝臣のカバネを賜る。
だが、嘉祥元年(848年)に親族和気斉之の罪に連座して土佐国に流された。
2年後に帰京を許されて貞観元年(859年)に77歳で従五位下に叙せられた。

以下の事などが伝えられている。

致仕後も特に許されて自宅で律令を講義する事が許された。

朝廷が遣唐使に託して唐の明法家に充てた質問書の中身を事前に閲覧させた。
そうしたところ、全ての正しい回答を出して質問書の件が中止になった。

『令集解』に大量に引用されている書物・『讃記』(実物は散逸)の著者である。

[English Translation]