近衛内前 (KONOE Uchisaki)
近衛 内前(このえ うちさき、享保13年6月22日 (旧暦)(1728年7月28日) - 天明5年3月20日 (旧暦)(1785年4月28日))は、江戸時代中期の公家、関白、太政大臣。
父は近衛家久、母は満君(島津吉貴娘)。
享保19年(1734年)に元服。
子に近衛経熙、近衛維子(後桃園天皇の女御で、欣子内親王の母。盛化門院)、年子(仙台藩主伊達重村室)。
桃園天皇、後桃園天皇の関白、後桜町天皇、後桃園天皇の摂政を務めた。
また、安永8年(1779年)の後桃園天皇の崩御の際、後桜町上皇とともに、伏見宮家から継嗣を迎えようとしたという。