醍醐兼純 (DAIGO Kanezumi)
醍醐兼純(だいご かねずみ、延享4年10月16日 (旧暦)(1747年11月18日)‐宝暦8年4月21日 (旧暦)(1758年5月27日))は、江戸時代中期の公卿。
桃園天皇(116代)時代の廷臣。
父は太政大臣一条兼香。
母は不詳。
養父に右大臣醍醐経胤。
養子に権中納言醍醐冬香(経胤の子)がいる。
一条家の庶子として生まれる。
寛延3年(1750年)に叙爵した。
宝暦元年(1751年)未だ男子がなかった醍醐兼潔の養子となる。
ただし同年に兼潔の実子冬香が誕生したため、冬香は兼純の養子となった。
宝暦5年(1755年)従三位左近衛中将となり公卿に列し、宝暦8年(1758年)には権中納言に任じられたが、同年12歳にして早世している。
醍醐家は冬香が継いだ。