長谷部信連 (HASEBE Nobutsura)
長谷部信連(はせべ のぶつら,生年未詳 - 建保6年(1218年))は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士。
右馬允・為連の子。
事績
人となりは胆勇あり、滝口の武士として常磐殿に入った強盗を捕らえて、その功績により左兵衛尉に任命された。
のちに以仁王に仕えたが、治承4年(1180年)に王が源頼政と謀った平氏追討の計画(以仁王の挙兵)が発覚したとき、王を園城寺に逃がし、検非違使の討手に単身で立ち向かう。
奮戦するが捕らえられ、六波羅で平宗盛に詰問され屈するところなく、以仁王の行方をもらそうとしなかった。
平清盛はその勇烈を賞して、伯耆国日野郡に流した。
平家滅亡後、源頼朝より安芸国検非違使所に補され、能登国珠洲郡大家荘を与えられた。
子孫は能登に存続し、長氏を称し前田氏に仕えた。