阿佐太子 (Prince Asa)
阿佐太子(あさたいし、アジャテサ、557年 - 631年)百済の威徳王 (百済)の息子。
日本に来て肖像画を描いたと伝えられる。
『日本書紀」によれば、597年4月に日本に渡って聖徳太子の肖像を描いたと言われる。
現在日本の宮内庁に所庁されている絵は、日本で一番古い肖像画とされる。
その形式は太子を中に置いて左右には2人の王子(伝えられるところによれば、右側が山背大兄王、左側が殖栗王)を少し小さく配置した構成。
この配置は、仏教の影響を受けた三尊仏的構成とも考えられ、あるいは閻立本の絵に伝わる『歴代帝王島圏 歴代帝王図巻』に見られる、その頃の構図法に起因したものと解釈されることがある。
現在日本学界でも論議が多いこの像は、製作時期においても太子及び脇侍王子の服飾から見て、後の白鳳時代の作品だと見る説と、鎌倉時代の模本と見る説が概して多い。
このように現在伝えられる聖徳太子像は、様式上の問題点と同時に、阿佐太子に対する記録が大韓民国側資料にはないという事実によって、未解決の課題だが、三国時代 (朝鮮半島)当時の百済と日本との活発な交流を考慮すれば、その可能性は充分に認められる。