陶弘房 (SUE Hirofusa)
陶 弘房(すえ ひろふさ 生年不詳 - 応仁2年11月14日 (旧暦)(1468年12月27日))は、室町時代後期の武将。
大内氏の重臣。
通称は三郎五郎。
官位は中務少輔。
父は陶盛政、兄は陶弘正。
子に陶弘護、右田弘詮。
妻は仁保盛郷の娘。
生涯
大内氏の一族である陶氏の陶盛政の次男として生まれる。
1465年に兄の陶弘正が21歳の若さで討死し、弘房が家督を継ぐ。
しかしその弘房も1468年に、応仁の乱の最大の激戦となった京都相国寺の戦いで討死した。
陶氏の家督は嫡男の陶弘護が継いだ。
その没後、妻が夫の菩提を弔うため、実家の仁保に安養寺を建立した。
この寺は1492年に瑠璃光寺と名前を変え、後に山口市内へ移転され、現在の国宝瑠璃光寺になった。