高橋高種 (TAKAHASHI Takatane)

高橋 高種(たかはし たかたね、生年不詳 - 天文_(元号)4年(1535年))は筑後国を領した戦国時代 (日本)の大名である。
父は高橋統種。
弟は高橋長種、子は北条綱高、高橋氏高。

生涯

筑後高橋氏の当主となるが、その座を捨てて逐電した。
京都に上って室町将軍足利義尚に仕え、1487年の長享の乱・1491年の延徳の乱にも参加。
1489年に足利義尚が病死すると、堀越公方足利政知に請われて伊豆国へと赴き、雲見城を与えられてその城主となる。
しかし1491年に足利政知が死去すると、堀越公方家は内紛を起こし、足利茶々丸が弟を殺害するなど、その勢力は衰退の一途を辿る。
その後は北条早雲に従い、その娘を妻として北条一門としての扱いを受けている。

1535年に死去。
家督は長男の北条綱高が北条氏綱の養子となっていたため(諸説有り)、次男の高橋氏高が継いだ。

備考

北条早雲(伊勢新九郎長氏)も一時期足利義尚に仕えており、京都で長氏と高種が顔を合わせていた可能性が高い。
その縁があり、高種が伊豆に下向後、堀越公方家が衰退すると、長氏に一門として取立てられたものと推測される。

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