鳳林承章 (HORIN Josho)

鳳林 承章(おうりん じょうしょう、文禄2年(1593年) - 寛文8年(1668年))は、安土桃山時代から江戸時代にかけての禅僧。

経歴
准大臣・勧修寺晴豊の六男。
母は、刑部卿兼陰陽頭・土御門有脩の娘。
兄弟に、権大納言・勧修寺光豊、蔵人頭・甘露寺経遠、参議・坊城俊昌、右京亮・阿部致康など。

禅僧となり、北山鹿苑寺(金閣寺)住持となる。
寛永2年(1625年)、万年山相国寺に入り、のちに第九十五世と昇る。

後水尾上皇の出家に際し「唄師」を務め、その後も上皇との親交を深めた。

江戸時代初期の京文化(「稲庭うどん」から「京焼」のルーツまで)はもとより、政治・経済を知る上で貴重な資料となる「隔冥記」を記した。

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