鷹司信尚 (TAKATSUKASA Nobuhisa)
鷹司 信尚(たかつかさ のぶひさ、天正18年4月14日 (旧暦)(1590年5月17日) - 元和 (日本)7年11月19日 (旧暦)(1621年12月31日))は江戸時代の公卿。
父は鷹司信房。
母は父の継室である佐々輝子。
兄弟に鷹司信平、鷹司孝子、子は鷹司教平、娘(花山院定好室)。
後陽成天皇第三皇女の清子内親王 (江戸時代)は室。
従一位。
号は景皓院。
略歴
天正18年(1590年)に鷹司信房の子として生まれる。
内大臣(1611年 - 1612年)、右大臣(1612年 - 1614年)関白(1612年 - 1615年)左大臣(1614年 - 1620年)などを歴任。
従一位(慶長19年(1614年)1月5日 (旧暦)叙)。
元和 (日本)7年(1621年)薨去。