鷹司房輔 (TAKATSUKASA Fusasuke)
鷹司 房輔(たかつかさ ふさすけ、寛永14年4月30日 (旧暦)(1637年6月22日) - 元禄13年1月11日 (旧暦)(1700年3月1日))は江戸時代の公卿。
父は鷹司教平。
母は冷泉為満女。
側室は毛利秀就の娘・竹。
兄弟には鷹司信子、鷹司房子、九条兼晴。
子に鷹司兼熙、西園寺実輔(西園寺安姫の婿に入る)、鷹司輔信、一条兼香がいる。
従一位(1672年(寛文12年)1月5日 (旧暦)叙)。
略歴
寛永14年(1637年)に鷹司教平の子として生まれる。
内大臣(1658年 - 1661年)、右大臣(1661年 - 1663年)、左大臣(1663年 - 1667年)、摂政(1664年 - 1668年)、関白(1668年 - 1682年)などを歴任。
元禄13年(1700年)薨去。