一条信能 (ICHIJO Nobuyoshi)
一条 信能(いちじょう のぶよし、建久元年(1190年) - 承久3年(1221年)は、鎌倉時代初期の公卿。
藤原北家藤原頼宗流、権中納言一条能保の次男。
母は江口の遊女慈氏。
異母兄弟に一条高能、一条実雅、尊長らがある。
官位は従三位参議。
建久4年(1193年)叙爵。
建暦元年(1211年)に左中将となり、承久2年(1220年)に参議に至る。
後鳥羽上皇の近臣の一人として仕え、鎌倉幕府打倒の謀議に参加。
承久3年(1221年)の承久の乱においては京方の軍勢を率いて、兄弟の尊長とともに芋洗方面の守備に就く。
敗戦後、首謀者の一人として幕府軍の捕虜となり、鎌倉へと護送される途中、美濃国岩村において処刑された。
現在、岐阜県恵那市岩村町には『一条信能終焉の地』の史跡があり、また同地にある岩村神社は、信能の霊を弔うために建てられた祠を発祥とすると言われている。